2008年06月22日

PIERROT : The First Cry In Hades (Guilty)

先に断っておくが、この記事に書かれていることは、あくまでも主観の域を出ない。また、神話等の話を引用していたりするが、深く研究・調査をしたわけではなく、薄識で想像で膨らましているだけである。そのため、正確さなどの責任は負いかねる。

さて、前置きが、とても長くなってしまったが、主題に入る。

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アルバム『PRIVATE ENEMY』の1曲目を飾る曲である。何か巨大な物が迫り来るように、重々しく、そして静かに始まる。ドラムとベースが絡みつき、悲鳴のようなギターが鳴り響くイントロだ。そして、そっと歌が始まる。

死刑台に立たされ 静かに待っていた
子宮の海がそっと波打ち始め

有罪が確定する


 この曲は、生前→死後の世界→来世を扱う珍しい曲である。しかし、此処で死後の世界は終了する。私が思うに、死後の世界として描かれているのは‘有罪が確定する’のみである。それより前は、生前の世界である。何故、そうなるのかからまとめていこう。

 単純に順番の話だ。まず、これ以前に有罪が確定しなければ、死刑台に立たされない。死刑台に立たされた時点で、何らかの罪により有罪、かつ極刑になったと考えられる。後に出てくる‘有罪’とは、別物である(有罪が確定した、とは書いていない)。このフレーズは比喩であると言われるかもしれないが、それは問題ではない。比喩であればあるほど、この意味合いは強くなってくる。


 次に、子宮の海が波打ち始める、輪廻転生の準備が出来たと言うことだ。それは、死が訪れたと言い換えられるだろう。子宮回帰の考えを持っているのだろう。この後に‘有罪が確定する’と言われる。それは、子宮の海が波打ち始めたのは、有罪が確定したことに起因すると考えられる。または、子宮の波打ち始めたことが、有罪の確定を示すとも言える。即ち、子宮回帰は有罪の場合に行われることを示している。

 では、作詞者の当時の考えを箇条書きにする。
 ※以前の記事でも説明したことと被る部分もあることを断っておく。また、私の記憶の範囲内で書き連ねており、想像による誇張もあるかもしれないことも合わせて断っておく。

○罪ある限り輪廻転生を繰り返す。
○生きている間、前世の罪を償わなければならない。そこには自己犠牲も含まれているようだ。
○人が死ぬ時、その人は自身の死をどんな形であれ受け入れている。
○人は死後、魂のような肉体を伴わない精神の塊になる。
○冥界が存在し、そこで審判が下される。
○有罪の場合、子宮回帰となる。
○子宮回帰の時、それまでの前世の記憶と共に、宇宙の始まりから世界の終わりまで、全ての真理の記憶が呼び出される。
○呼び出された記憶は、母胎から出て、羊水を浴び、肺に空気が入った(産声を上げた)瞬間に全て忘れてしまう。
○最後の転生の時、その記憶は生後も保つことが出来る。


 歌詞は死んでから、再び生まれるまでを描いていると書いてきた。こうして整理すると、2つのことを思い出した。

 1つ目は、C.G.ユングの「夜の航海(the night sea journey)」だ。深層心理学的な定義は説明を省くが、この考えのモチーフは太陽神話で出てくる英雄の話である。
その英雄は東の空からやって来て、やがて西の空の母なる大地に飲み込まれてしまう。沈んだ英雄は、真夜中の海底で怪物と闘ったあと、再び東の空に甦る。死と再生のモチーフとされるこの神話である。一例をあげると、エジプト神話では、地の底は冥界であり、太陽神ラーは夜は冥界を通り、翌朝、地上に現れるとしたそうだ。


 2つ目は、古代象徴の1つでるウロボロスである。己の尾を咬んでいる蛇の絵で知られる。∞のモチーフとなっており、永劫回帰や破壊と再生、循環などの象徴である。曲に描かれる輪廻転生は、一度限りではなく、循環している。
 この曲の世界観では、自らの罪によって、生と死が循環しており、これが今回途切れるのである。それは、蛇が咬んでいた己の尾を放すかのように容易で、小さなキッカケだけが必要だったのだろう。
 ここでは、この蛇の尾を、己の罪であると考える。理由も分からずに、尾を咬んだままの蛇は、能動的でも受動的でもどちらでも、自ら尾を放した瞬間に永遠も再生もなくなるのである。尾を放すこと、即ち永遠を棄てることは、自らの罪を許したとも言い換えられるのではないだろうか。そもそも、宇宙やら天国やら地獄やらと大きな世界で考えていたことは、ただ己の尾を咬んでいただけだったのかもしれない。
 蛇足であるが、ウロボロスはエジプト神話でメレンに当たり、太陽神ラーの夜の航海を守護するそうだ。


主人公の話に戻そう。忘れるべき全ての記憶を残したまま主人公は、産まれた瞬間、この世界で生きていくことに絶望する。その後、主人公は出来るだけ人の関わらないようにし、他の人と同じように生きていこうとした。しかし、本質を殺していくことに、限界を感じ始める。この限界でタガが外れた主人公は、自らを‘怪物’と呼んだ。主人公にとって、前述した「夜の航海」は、生きていかなければならない現世と言えるのではないだろうか。主人公は自分と言う‘怪物’と戦わなくてはならないのだから。
 主人公を悩ませた記憶は、少しずつだが確実に薄れていった。それは忘却ではなく、呼び出せなくなったと言う表現の方が近いだろう。かつての恋人を思い出し、懐かしむことも出来なくなっていく。主人公は酷く孤独を感じていく。そして、‘失うことを怖れているのではない。本当に怖れているのは孤独’と考えるようになった。


 その後の彼の物語はアルバムで楽しんでいただきたいので省略し、1つの結末だけを書きたい。それは『Birthday』という曲である。この曲は、『The First Cry in Hades(Guilty(』のアンサー・ソングであると言われている。歌詞の視点は誕生する立場から、誕生される立場に代わり、新しい命を歓迎している。

子宮の暗闇を漂いながら
君は何度も旅を繰り返して
それでも諦めずに手を伸ばしている
とても悲しそうに泣き叫びながら

苦しみはまだ終わらない
それでも待ち焦がれていたんだ


 
 ここであることが逆転しているように思える。太陽神話のことを思い出して頂きたい。ここで、‘君’を英雄と考えた時に、「夜の航海」は現世であると書いたが、ここでは誕生までのことに感じる。戦いを終えて、再び東の空に現れるように感じる。また、己の尾を咬んでいるウロボロスに例えた繰り返しののイメージも、同じところを迂回しているイメージから、螺旋のようなイメージに変わっている。同じところに戻るのではなく、何処か違った場所にたどり着くようなイメージである。
 主人公は、何もかも失った無防備な君を護りたいと思い、存在そのものに感謝する。例え、君が世界の終わりや宇宙の真理を知っていようとも、この世界が君が再び生を受けることを待っていたのだと。



 ここまでのストーリーは、丁寧に‘答え’見出す過程を辿ってきたように思える。私も、‘怪物が死ぬ前に産み落とした新たな命’を心から歓迎した。この新たな命=息子が私にとって、とんでもない奴であることに気付くまで時間はかからなかった。しかし、この過程を改めて整理して、最近の歌詞を見ると、まだそこにいるの?と思ってしまう。いや、別の方向に行ったとも考えられるのだけれど、私には進んでいないように見えてしまう。



参考
PRIVATE ENEMY
HEAVEN THE CUSTOMIZED LAND SCAPE
数々の雑誌(記憶)
LANDSCAPE -HEAVEN SIDE- -HADES SIDE- -REAL SIDE- 冊子(記憶)
Wikipedia
ユング心理学入門

posted by YuKKo at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | Nippon | 更新情報をチェックする
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